大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岡山地方裁判所 昭和39年(行ウ)4号 判決 1967年4月26日

原告 長谷川愛衛

被告 倉敷労働基準監督署長

訴訟代理人 川本権祐 外五名

主文

被告が昭和三七年一二月一日原告に対してなした労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償費および葬祭料を支給しないとした決定を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、申立

一  原告

「主文同旨」の判決を求める。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二、事実上の主張

一  原告の主張

(一)  訴外長谷川徳治(以下「亡徳治」という)は、建築請負業訴外三浦組(訴外三浦三郎営業)に大工として雇傭されていた。同組は、訴外株式会社藤木工務店(以下「藤木工務店」という)が訴外味野豊より倉敷市浦田一、六六七番地上に同人の住宅の建築を請負つたのにつき、さらに同工務店からその大工仕事を請負つた。そして、昭和三七年九月二九日午後一時過ぎ亡徳治は三浦組の右請負工事現場において大工仕事に従事していたところ、たまたま藤木工務店の前記請負工事関係に就職を依頼しに来た訴外木村和義より、玄能をもつて同人の左側頭部を殴打される暴行を受け、これにより左側頭部打撲傷頭蓋内出血左側頭皹頭裂骨折の傷害を受け、その結果、亡徳治は同年一〇月一日午前三時三十分頃死亡した。

原告は、亡徳治の配偶者であつて、その死亡により遺族となり、そして、同人の葬祭を行つた者である。そこで、昭和三七年一一月一日原告は被告に対し、亡徳治は業務上死亡したものである旨主張して、労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償費八九六、八五〇円および葬祭料五三、八一一円の各保険給付を請求したところ、同年一二月一日被告は原告に対し、亡徳治の死亡は業務上の災害とは認められないとの理由で、保険料給付しない旨決定した。原告は右決定を不服として、昭和三八年一月一七日岡山労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、同年四月二〇日同審査官よりその請求を棄却する旨の裁決を受けたので、さらに同年六月一八日労働保険審査会へ再審査請求したが、昭和三九年三月三一日同審査会より右再審査請求を棄却する旨の裁決を受け、同年五月二五日この裁決書の謄本は原告に送達された。

(二)  亡徳治が木村から暴行を受けるに至つたのは、次のような事情からである。すなわち、木村は大工であるが、当時失職して適当な就職先を捜しているうちに、藤木工務店の前記建築請負工事現場のことを聞き知つて、その工事関係に就職を依頼しようと考えて、右現場に来た。しかし、その時現場には、三浦組の経営者三浦三郎や世話役訴外中田初義のいずれも居なかつたため、現場で大工仕事に従事中であつた亡徳治が、たまたま木村とは以前同じ工事現場で一緒に仕事をしたこともあつて良く知り合つていたことから、木村は亡徳治に対して、右現場において就職したい旨を三浦や中田に伝えるよう依頼したが、亡徳治から期待どおりの返答が得られなかつたため、前記のような暴行におよんだものである。

したがつて、亡徳治の右被災は、業務上の事由によるものである。

二  被告の答弁および主張

(一)  原告の主張事実中、原告が労働保険審査会に再審査請求した日および同審査会より裁決書の送達を受けた日は不知で、亡徳治が木村から暴行を受けるに至つた事情は否認するが、その余の事実は認める。

(二)  亡徳治が木村から暴行を受けるに至つたのは、次のような事情からである。亡徳治は、原告主張の工事現場の二階で大工仕事に従事中、かねてから知り合いの木村の訪問を受け、同現場関係への就職申込みの取次ぎを依頼されたので、これを承諾した。そこで、木村はそこから帰りかけたのであるが、その際亡徳治らの仕事ぶりを見ながら「壁枠の通りがおかしい」とその仕事ぶりを批判するような趣旨の発言をしたので、亡徳治も、自分の仕事ぶりに文句をつけられたように感じたのであろうか、「おえもせんのに………」という趣旨のことを言つた。木村は、これを右工事現場から地上に降りる階段の下でこれを聞いて立腹し、亡徳治を地上に呼び降ろしたうえ、同人の顔を右手拳で殴打し、さらに玄能で右側頭部を殴打したものである。

(三)  したがつて、亡徳治の被災は業務上の事由によるものではない。

けだし、労働者災害補償保険法第一条にいう「業務上の事由」とは、業務執行行為自体に限られるものではないが、業務執行と密接に関連する事由ないしは業務を執行するに必要かつ相当な範囲の事由に限られる、と解すべきである。しかるに本件においては、亡徳治と木村との間の用件(就職依頼)自体すでに両名の個人的関係にもとづくものにすぎないうえ、さらに亡徳治が暴行を受ける原因になつたのは、右用件もすんだあとでまつたく私的な感情対立からの争いであつて、同人の業務とはいささかの関連もないのである。

第三、立証<省略>

理由

一、原告の主張(一)記載の事実中、その主張の日に原告が労働保険審査会に再審査請求をし、また同審査会より裁決書の送達を受けた事実は、その成立につき当事者間に争いのない甲第三号証により認められ、そしてその余の事実は当事者間に争いがない。

そこで亡徳治が木村和義から暴行を受けるに至つた事情を判断するに、その成立につき当事者間に争いのない甲第四号証の二、第五・第六号証、乙第一ないし第三号証、証人大水清、同平元藤一、同武内鶴志、同木村和義の各証言を総合すると、次のような事実が認められる。

(一)  木村和義は大工であるが、昭和三七年九月二九日当時は失職していて適当な就職口を捜していた。そして、同日たまたま大工仲間で同じ境遇にあつた訴外畑和勝に会つたことから、右両名は同じく大工仲間である訴外武内鶴志にも相談にのつてもらおうということになつて、午前八時半頃同人宅を訪れた。そうしたところ、武内は、合成酒をとり出して来て木村らにもふるまいながら相談に応じてくれ、武内の知人が関係している建築工事が倉敷市内の浦田や倉敷紡績のほうにあるから、そこに行つて頼んでみてやろう、と約束してくれた。そんな話をしている間、酒好きな木村は約四合程飲酒していた。それから、武内は木村と畑を伴つて、自宅の近くにある浦田一、六七七番地の藤木工務店の建築工事現場に、その現場監督をしている同工務店の従業員訴外吉田某をたずねて行つた。

(二)  ところでこの建築現場というのは、藤木工務店が味野豊から、ブロツク造の側壁と鉄筋コンクリート造の壁屋根構造の住宅建築を請負い、同工務店は、さらにその大工作業の施行を三浦三郎の経営する三浦組に下請けさせていたものであつて、同組では大工世話役中田初義の管理下に、亡徳治、訴外大水清、同平元藤一の三人の大工が作業に従事しており、当時は地上約二メートルの高さのところにある屋根部分にコンクリートを固定するための仮枠を構築中であつた。したがつて、右三人の大工は、いずれもこの仮枠構築中の屋根部分(以下「屋根現場」という)の上にあがつて作業していた。そして、この屋根現場は、地上からは階段によつて連絡されており、その通路や現場周囲に戸や障壁がもうけられていたわけでもなかつたので、外部から誰でも自由に出入りできる状況にあつた。

同日午後一時過ぎ武内らはこの工事現場まで来たが、地上には目ざす吉田の姿が見当らなかつたため、多分同人は屋根現場にでも居るのであろうと考えてそこまであがつて来たが同人は居なかつた。ところが、木村は、以前就職したことのある三浦組の大工が作業しているのを見て、同組が大工作業を請負つているのを知り、まずは顔なじみの亡徳治や平元らにあいさつした。

(三)  そして、木村は、世話人の中田が居ないことを知ると、亡徳治が板を打ちつけて仮枠を構築しているかたわらにかがみこんで、所携のスケールをとり出して梁の間隔を検尺し所定のところで、板を押えてやり、これに亡徳治が釘を打ち易いようにと仕事を手伝いながら、同人に対し、就職をたのみに来ているので、中田が帰つて来たらよろしく伝えてくれるように、と頼んだところ、同人もこれを承諾してくれた。ところが、木村がそのあとひきつづいてすでに構築済の仮枠につき梁の間隔が所定の寸法よりも広すぎると指摘したところ、亡徳治にはこれが自分の仕事振りに悪口を言われたと思つて感情を害し、その場では「そこはあとで直すんじや」などと言つてとりつくろつてみたものの、木村が話を終えて階段を降りかけるにあたり、「もとおりもせんのに(仕事ができもせんのに)」とつぶやいた。すると、木村もこれを聞きとがめて、せつかくの好意で忠告してやつたのにあだで返されたものと感じて立腹した。(これらのできごとは二、三分程の間に進んで行つた。)しかも、木村は、日頃から飲酒して酔うと短気になりさらには爆発的に乱暴狼藉におよぶという性癖があつたため、ぜひとも亡徳治には謝罪させなければならないと考え、まず、畑に亡徳治を地上まで呼びおろしてくれるように頼んだ。けれども、木村の右性癖を了知していた畑は、もし木村に亡徳治を引きあわせたならばかならずや喧嘩斗争になることが予想できたのでこれを止めたところ、木村は「言うことだけは言うて話をつけておいてやらんといけん」と言いながら、自ら亡徳治を呼びつけて、同人がそれに応じて降りて来るや、これと相対して立ち「お前さつきいらんことを言つたのお」などと言つてからんで行つた。そこでそばに居た武内も、このまま事態が移行していくと木村はその性癖からすれば暴力をふるうであろうことが察知されたので亡徳治に対しその肩をつきながら謝罪するようにすすめたが、亡徳治は、これらに何ら応答することなくただにやにやと笑いを浮べていたのみであつたため、木村は自分を嘲笑しているものと考えていよいよふんがいし、いきなり手拳で亡徳治の顔面を突き、同人がよろけてうしろに下つてその腰の釘袋にさしてある玄能が目につくや、これを右手でとつて同人の左頭部を殴打した。

(四)  なお、その後、同人らは仲直りをして、亡徳治も再び屋根現場へ引きかえして就業した。そして、間もなく、吉田も帰つて来て屋根現場に上つていつたので、武内らもそのあとを追つて同所で木村らの就職をたのんだが、吉田から人手も足りているので雇うつもりはない旨告げられて、武内らは他の建築工事現場に向つた。

以上のような事実が認められる。

二、ところで、労災保険法にもとづく遺族補償費および葬祭料の保険給付は、労働基準法第七九条、第八〇条に定める「労働者が業務上死亡した場合」になされるものであり、これに該当するためには、労働者が一般的に使用者の指揮命令に基づく支配下にある状態において勤務するに際し、これと相当因果関係のある事故に起因して死亡することを要するもの、と解するのが相当である。

そこで、亡徳治の死亡が、この場合にあたるかどうか考えてみよう。前記認定事実でも明らかなように、本件は労働者がその担当業務外の行為遂行中に、災害を受けた場合である。かかる場合、それが業務上であるのか、あるいは業務から離脱しているものであるのかを認定するにあたつては、単に被災者の内心面につき考察するだけでは足らず、さらに行為の雇傭契約に対する客観的価値をも考察したうえ、後者に重点をおきながら右両者を相関的に考察しながら判断してゆくべきである。けだし、そもそも雇傭契約で労働者に期待されている労務の給付は、労務という外形的行為が一般的に使用者の指揮命令に基く支配下におかれたと客観的に認められる限り、その提供があつたと考えるべきであり、その際労働者の内心が如何であつたかまで問うところではないからである。そして、この行為が使用者の支配下にある場合とは、原則的には、使用者から担当を命ぜられた業務の遂行ということになろうが、それ以外にも、当該行為が企業の運営上通常期待される合理的行為とみなされる場合も含むと解される。もっとも、この担当業務外の業務の遂行については、労働者が内心の誠実性をいちじるしく欠如したり、業務上の注意義務をいちじるしく懈怠したような場合には、業務を離脱すると考えるべきである。しかし、その場合においても、労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償費の保険給付が、業務上死亡した労働者の収入に依拠していた遺族の生活保護を目的としていること、さらに、同法によれば、死亡労働者が事故発生につき故意または重大な過失があるときでさえも、「業務上の死亡」の認定を妨げないとしていること(同法第一九条の反対解釈。この場合、政府は裁量により保険給付しないことができるだけである。)、そして、これらの法理は労働基準法についても同様に解されること、等の趣旨にかんがみれば、この内心面にもとづく業務離脱はきわめて慎重に認定すべきである。すなわち、内心面の不信義性がいちじるしく高いうえ、客観的に考察しても業務性がうすい場合にかぎり、業務外と認定すべきである。

そこで、亡徳治の死亡につき考えてみよう。

(一)  まず亡徳治の内心に注目しながら、その行動を考察してみよう。木村が屋根現場にいる亡徳治を呼びつけた動機は、友だちのよしみから同人の仕事に手を貸してやりその過誤まで教えてやつたのに、かえつて同人からは自分の技量をこきおろすようないやみを言われたと立腹し、同人に謝罪させようと考えたからである。そして、亡徳治においても、木村のこの気持を察知して、これは多分いいがかりをつけられるようなことになろうかと考えながら、同人のいるところまで降りて来たのである。そして、木村のふんげきをやわらげようとの気持などは毛頭なく、売られた喧嘩なら買つてもよいというような気持からいかにも木村を嘲笑した態度で応接したであろうことは、前記認定事実からうかがわれるところである。そして、このような亡徳治の応接態度が、木村の性癖に油をそそぐことになり、はじめは亡徳治が謝罪しさえすればよいと考えていたのを、ついに暴力沙汰をひきおこさなければ気持がおさまらないまでにしたのである。したがつて、このような動機から亡徳治が木村から暴行を受けた事実を評価するかぎりでは、亡徳治は屋根現場における三浦組の業務たる大工作業を恣意で離脱し、その際私的斗争をして受難した、と認める余地がないではない。

(二)  けれども、亡徳治の行為を外部的客観的に考察してみるならば、そこには相当はつきりした業務としての定型が認められる。すなわち、前記認定事実によれば、木村は亡徳治の言動にひどく立腹しており、同人には言うだけのことは言つて謝罪させるなど、とにかくうつぷんが晴らされるまでそこから離れる気持はなかつたし、ことに同人の性癖をもあわせ考えるならば、亡徳治が木村の呼びかけにも応じないでそのまま大工作業を継続していたならば、同人はますますげきこうし、自分の方から出入りの自由な階段をのぼつて屋根現場の亡徳治のかたわらにまでやつて来て、同人に難詰したりからんだりはては暴行まで加えかねないことになろうことは、容易に想像できることであつた。そして、もしそういうことにでもなれば、亡徳治の大工作業が妨害されるだけではなく、さらには同じ現場に居合わせた他の大工らの作業にも支障を来たしたり、喧嘩のために作業現場がふみ荒されて損傷したかも知れないのである。

このように、三浦組にとつては、木村は外部から作業現場に侵入してその業務遂行を妨害しようとする者であるから、その業務遂行を支障なからしめるためには、このような者が作業現場に侵入するのを許してはならないのである。そして、屋根現場のように外部からの出入りを阻止する設備のないところでは、従業員らが実力をもつて立入りを阻止するか、あるいは従業員の方から外部に出向いてこれと応接し、退散するようにしむける必要がある。そして、このような業務は本来ならば作業現場の現場監督者である吉田か三浦組の大工世話役である中田が、果すべきであろう。しかし、その両者いずれも居ないときには、木村と顔見知りであつてしかも同人を呼びこむ原因をつくつた、亡徳治においてこれを果したところで、かならずしも企業者の意思にもとるものではない、と思われる。したがつて、亡徳治が木村からの呼びかけに応じて屋根現場における大工作業をはなれ、同人と応接した行為を客観的に評価するならば、業務としての定型を十分認めることができる。

(三)  そして、亡徳治の行為が、客観的には右に考察した程度に業務としての定型が認められる以上、さきに考察した私的意思や業務不誠実性の存在をもつて、業務離脱があつたと考えることは相当でない。また、木村には呼びつけた当初は暴行する意思まではなく、それを暴行まで決意させるに至つた直接の動機は、前述のように亡徳治の相手を嘲笑したような応接態度にあつたのではあるが、木村のふんげきと日頃からの性癖からすれば、たとえ亡徳治が誠実に応接していたとしても、その巧拙如何によつては本件のような不詳事にまで発展するであろうことも予想されないわけではなかつたから、業務と被災との間の相当因果関係も認めることができる。

したがつて、亡徳治の死亡は、業務上死亡した場合にあたると解され、そして前述の応接態度の不誠実さは、事故発生についての重大な過失と考えて、これは政府において裁量により保険給付をしないための理由となるにすぎない、と解すべきである。

三、そうすると、結局、亡徳治の死亡が業務上死亡した場合にあたらないとして、その遺族である原告に対し労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償費および葬祭料を支給しない旨決定した被告の処分は、失当であるからこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九号を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柚木淳 井関浩 木原幹郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例